楊貴妃 作出経緯
文章 大場幸雄
私がメダカを始めた頃、自然のメダカを大きな水連鉢に数百匹入れて泳がせていました。本来、私は盆栽業を営んでおり、朝盆栽の水やりをして、メダカの飼育、選別、そして夕方盆栽の水やり、この繰り返しでした。
ある日、夕方の水やりの際、ふと夕日を浴びた水連鉢に目をむけた時です。茶黒い自然のメダカが、夕日を浴びて薄い黄金色に見えたのです。
それからです。このような黄金色のメダカができないかと、自然のメダカ数百匹の中から、数匹を選別して交配を始めました。これが、黄金メダカへの第一歩です。
それから何度も交配を繰り返すうちに、薄い黄金色から濃い黄金色まで、様々な体色が現れました。「薄黄金」「黄金」「強黄金」 と3種類に分けて交配を繰り返しました。メダカ仲間とは、金に例えて18金とか24金とかおもしろおかしく話をしたものです。
どのメダカにおいても、固定化する事がお客様への信頼度に繋がります。その当時私は、固定率99%を目指していました。
黄金メ3種類の黄金の内、白い容器に入れた際、「薄黄金」が1番黄金色に見え、力を入れて固定化を目指しました。「強黄金」として固定化を進めている水槽の中に、現在の琥珀メダカを発見しました。なんとも魅力的な体色だったのを覚えています。
このメダカをメダカ仲間に見せたところ、これは琥珀色だね!琥珀色って何ですか?松脂の色だよ、と見本を見せていただきました。一目で気に入り、このメダカを「琥珀」と名付けました。産卵期のレサイズで、グリーンウォーターから綺麗な水に移した時の琥珀色と、尾ビレが燃えるような婚姻色の赤になりました。これを見た時に、私は琥珀メダカに惚れ込んだ事を今でも鮮明に覚えています。その後、「薄黄金」の系統が現在の黄金メダカ、「強黄金」の系統が現在の琥珀メダカとなりました。
あれから14〜5年、この琥珀メダカが親となり、魅力あるメダカが多く作出されました。根強いファンも多く、改良メダカの1ページに無くてはならない1品種です。
話は戻りますが、その後琥珀メダカのヒカリ、ダルマ、ヒカリダルマを作出して、とても人気のある品種となり、相当な数の琥珀メダカがいました。
ある日、黒いトロ箱の琥珀水槽の中に1匹の朱赤メダカを発見しました。何かが混ざったのだろうかと疑わしくも、そのメダカを隔離しました。これが赤いメダカ「楊貴妃」へのスタートとなります。
そのメダカはまだSサイズでしたが、メスである事がわかりました。当時、この朱赤メダカにとてもワクワクしたのを覚えています。大きくなるのがとにかく楽しみでした。
やがて産卵サイズとなり、どのメダカを交配しようかと思いながらも、私には魚の知識がありません。ありとあらゆるメダカと交配を試みました。しかしこのメダカ、どんなオスを一緒に泳がせても一切反応しません。何が気に入らないのか、オスを寄せ付けないのです。
この様子を見がら、なんと気位の高いメスだろうか、体色は素晴らしい朱赤だ、そこで思い浮かんだのが中国の世界三大美女「楊貴妃」でした。
そんなある日、待ちに待った卵を産んだので、メダカのお腹から慎重に筆で卵を移しました。数は6個でした。
これから毎日産んでくれるだろうと期待をしましたが、翌日以降全く産むことはなく、このメダカは亡くなりました。貴重な6個の卵は全て孵化しました。
その稚魚は私にとって宝物の中の宝物でした。「6匹は順調に大きくなり、貴重なメダカであるから、ありとあらゆるメダカと交配しました。当時1番のメダカ仲間Sさんに数匹預けてとにかくF1を採っていただきました。その結果、私の水槽からは楊貴妃の普通種、ヒカリ、ダルマ、ヒカリダルマが産まれ、Sさんの水槽からはスモールアイが誕生しました。
これで、楊貴妃の全種類が完成しました。私は交配をする度に、ノートに交配記録とナンバーを付けました。
交配を繰り返していくうちに、体色や体型の遺伝が無く、消えていった系統も多くあります。その中で、現存する系統が「No.楊5」と「No.楊30」です。
「楊5」とは、初代の楊貴妃メダカから現在まで累代している唯一の系統です。
「楊30」とは、めだかの館益田工場で適切な選別により系統維持をしている、楊貴妃の中で1番人気のある系統です。
その他に、「チエ楊貴妃」という系統があります。楊貴妃を発表した頃、若い兄弟が来られて楊貴妃を購入された際、メダカを通して家族づきあいをしました。数年後、その系統が一段と赤くなったのを確認した際、娘さんの名前をいただき「チ工楊貴妃」 としました。やがて日本メダカ協会ができ、品評会でも楊貴妃はトップスター扱いとなりました。その中でも、トップ争いをしていたのが「楊30」と「チ工楊貴妃」でした。
これまでに、多くの出版社から取材がありましたが、1番最初はやはり楊貴妃の話から始まります。私の記録する交配ノートには楊33まで記してあります。
ある出版社からの取材の時に、こう言われました。
大場さんブログを調べていくと、楊38というナンバーが出てきますよ。
そんな事は無いだろうと思いながら交配ノートを読み返すと、ノートの最後に楊貴妃の交配記録が記されていました。結局、楊貴妃はナンバー38まで交配しました。
現在では出目や目前、新体型にサムライなどなど、50種類以上の楊貴妃メダカが存在していますが、全ての原点があの1匹だと思うと感慨深いものがあります。
今後も、より一層綺麗な体色、新たな新種メダカを目指して交配を続けていきます。
※本記事は、めだかの館 2018年度版 最新メダカ型録 vol.16に掲載された記事を参考にしています。
楊貴妃の血統について
楊貴妃にはいくつかの系統がある。これまでに筆者(めだかの館)のところでは35系統を作ってきた。その作出過程でさまざまな特徴の系統が人気となった。現在(2015年当時)、主流は、以下の3系統だ。これらの血統を持つ個体が広く流通している。
楊30
最も赤みが強い血統といわれ、ヒカリやヒカリダルマはあまり出現せず、普通種が多いとされている。体色遺伝率が高く、最も安定している血統とされる。ヒカリ体型からサムライが産まれてくる血統とされている。
浜楊31
体色遺伝率が高く、最も安定している血統とされる。ヒカリ体型からサムライが産まれてくる血統とされている。
チエ楊貴妃
赤みが強くややピンクがかった体色をしているのが特徴。以前の品評会では、楊30とチエ楊貴妃でトップ争いを繰り広げてきた。今でも品評会への出品数は楊貴妃が群を抜いて多い。ヒカリやダルマ、透明鱗といった本品種の別タイプも同様に多くの個体が出品されている。
※本項目は、「日本メダカの飼育と繁殖」, 2015年刊, 大場幸雄著 を参考にしています。
参考資料
めだかの館 2018年度版 最新メダカ型録 vol.16, めだかの館,2018年発刊
「日本メダカの飼育と繁殖」, 2015年刊, 大場幸雄著